mishikino's diary

素人が作家として自分を昇華させる研究所

日常的な衝撃波、と駄文(ステップアップ)

最近は読書生活が安定しており、ここであまり書くことがない。

 

「アクセル・ワールド(2)~(既刊)」を読み進めているものの

一冊を二日で消化が限度な精読力です。

 

まあ、当初の予定どおり

「三ヶ月に一度ぐらいで見に来ればいいと思う」

という感覚的根拠の理由があとからやってきたなどと

思う他はないと感じ始めた今日このごろ。

 

身近な話題というか小ネタで「衝撃波」について

少し語っておこうと思ったところで、

「今回あたりで次の更新は数ヶ月後だろうな」

とひしひし感じております。

 

 

殺生は好みません。

羽虫だろうとなるべく殺さずに外に逃がすのが御式乃です。

ゆえに、

 

パンッ!!

 

両の手のひらを打ち鳴らすと「羽虫が音波で気絶したり」、

ふとんの上に止まったところの傍を、バンッ!! と叩くと、

こちらは音波でなく空圧振動の衝撃波で気絶したり。

身近な「衝撃波」による物理現象。

 

気絶したらティッシュペーパーでやさしくつまんで

網戸を開けて、ていっ、と外へ逃がします。

 

何気ない日常からくる生物との邂逅ですが

お話にも生かせそうなので、今は小ネタを中心に集めています。

相変わらず根拠のない直感的な理由で。

 

小ネタの引き出しが増えれば、

なんか必殺技級に昇華しそうな気がするので。

やはり物理現象は大切です。

 

 

しかし、「アクセル・ワールド」は表現の幅が本当に豊富ですね。

読んでいて、とてもじゃないけどこんな表現の数々で埋め尽くせない

と、尻込みしています。

 

十年以上も書いているとやはりこの辺で差が出ますね。

文章巧者も相まって、二回りから三回りは実力差がうかがえます。

でもアイディア自体の基礎地はそこまで差があるとは思えないんですよね。

 

要するにテクニックの差であり、

才能よりも年月を重ねてきた努力の差ですね。

 

わかったところでこれを埋めるのは並大抵じゃないですね。

追いつく頃には連載が終わって、次の作品に移っていそうですが。

 

 

まあ「アクセル・ワールド(2)」を読了したところ

多少は辞書を引きながらでもすらすら読める感じなので

『さぼらなければ』二日で一冊は精読で消化できるでしょう。

 

本当はすらすら読めるので勢いに任せて

スピード重視でいきたいのですが、「感覚の拾い残し」があると困るので。

じっくりと、なにか引っかかったところは繰り返し読み直します。

 

「マグダラで眠れ」で読書力を鍛えられたおかげか

ストーリーや構成が複雑でなければ、一日で二冊ぐらいいけそうですが

それでは肥やしにならないので我慢がまん。

 

活字物語に縁がなく、ゲーム、アニメ、漫画ざんまいだった者には

やはり地の文が優れた作品に触れるのが基礎地を固めるのに

適していると思っています。

 

こういう経緯をたどった者はセリフ慣れしているので

そっちは自然と考えなくとも勝手に出てくるものだと思うのです。

地の文とセリフが違和感なく擦り合わせる整合性は、

テクニックとして必須でしょうけど。

 

 

ライトノベルにおけるテンプレート

・読者を共感させ煽る描画表現

・受賞に共通するとあるプロセス

 

いろいろと見えてきたので、

がむしゃらに読書数を重ねるよりも、解読に重きを置く

読書スタイルを選択します。

 

ゆえに必然的ですが、ここの更新頻度はがっくり下がります。

ぽんぽん気軽に出すより、自分の中で煮詰めた先に

新しい成長段階に突入することの方が大事と思えてきたので。

 

「アクセル・ワールド(2)」にもいろいろ感想は出ましたが

作家としての感想は出ても、読者としての感想はほぼ皆無だったため

読書メーターの方にも、読み終えた事実を伝えるだけです。

 

つまるところ、素人が研究を重ねてライトノベルの入門を解読し

次の「どうすればより面白く、読む人の感情を煽れるか」の

中間地帯に突入したようです。

 

書こう、と思い娯楽の享受と研究の両刀使いで始めて半年。

これが成長速度的に早いか普通か遅いかは測れませんが。

 

 

まあそんな感じの煮詰める段階にステップアップしたので

素人が最初に感じ、見つめて模索する記事はかなり少なくなりますよ。

 

内容は濃くなるかもしれませんが、更新頻度は間違いなく低下します。

読んで、書いて、自分の中でグツグツと煮詰める時間が多くなりますので。

 

 

なにも書くことがなく、くだらなくても気分転換になるような

そんな記事がちらほら出ていくような「気がします」。

 

次に昇華するための記事を書くときは

核心に迫るようなものを書けるような境地にいたいですね。

 

高校生は二学期におびえながら、

大学生は秋休みまでまだまだ余裕を見せながら、

という微妙な時期に微妙な記事で茶を濁す……

 

御式乃でした。

朝に弱い、夜に強い。集中は二十分。

朝に目が覚めて、朝食をとったらすぐに脳がシャッキリとして

集中できる人はとても羨ましいです。

方法論を教えて欲しいぐらいです。

 

私は真逆です。

 

生まれつき、脳波三型におけるα、β、γ派のうち

興奮をつかさどるβ派が強かったようです。

脳神経外科の医師より)

 

おまけに小学六年生のときに、後頭部を強打して

一時視野狭窄(視神経を衝撃が貫通したため)を起こし、

時間が経ったら収まってきたと思ったら、

脳が飛び出すんじゃないかってほどの頭痛で病院行き。

 

危なかったらしく、座薬(あれは気持ち悪かった)を突っ込まれ、

「脳挫傷」ギリギリでセーフだったようです。

 

後日、脳神経外科で脳波形をとってもらったところ

「入眠時に著しいβ派の乱れ(興奮)」が判明し、

眠れない生活のはじまりでした。

 

そんなもんだから、自然と眠りは浅いわ、朝はだるいわ、

夜は起きていようと思えば「気絶」するまでいけるわ、

といった具合です。

 

活動限界まで動けるのは、周りの見解ほど嬉しくないのですよ。

胸焼けにはじまり、パフォーマンスが低下するので。

とにかく「質」が低下します。実感できるほどに。

まあ、適当に仕事をする社会人時代なら別によかったんですがね。

今は「質」の低下を感じたら、即リフレッシュが必要なので。

 

感覚派だろうが、知識派だろうが、これは同じだと思います。

とにかく鈍る。

感覚派からすると、「感じの鋭さが鈍ってきたような気がする」

と思うと休憩サインですね。

知識派の人なら、「どうも頭の入りが悪いなあ」ってところですかね。

 

小学校から高校までの授業は50分ですよね。

でも本当に集中できるのは20分だけらしいですよ。

 

実際、私も本を読んでいて、

「あー、この辺は応用できるかなー」

「応用すると、あの作品に使えそうでこう工夫して……」

と、読書と解読よりも創作に方向がずれ始めるのが20分です。

 

書く方は12時間ぶっ続けとかできているので不思議ですが。

精読はとにかくβ派系からくる疲労が半端じゃない。

 

頭を打って能力に目覚めた、とか三文小説みたいですが

手に入れた能力は常人の数倍に増幅できるβ派。

失ってしまったのは安らかな眠り。

 

 

まあ、こんな非効率なことを回避するためにも

・朝起きる

・飯を食う

・眠くならないように体を動かしてシャワーを浴びる

・シャッキリしたところで、さあやるぞ!

・夜はさっさと寝る

を実践したいのですが、うまくいきませんねえ。

できている人がうらやましいです。

 

本調子のロスタイムたる夜が長いので

どうしても02:00、03:00就寝が多くなってしまうのですね。

(なお、多量の睡眠薬で強制的にβ派を抑えこむ:不治)

 

20分の集中期間を効率的に使う方法も見つけたいですね。

20分の限界集中。10分の開放。そのルーティングできないかなあ。

 

 

くだらない記事でも書いているとリフレッシュしますね。

御式乃でした。

物語、お話、その他(筋の分類)

マグダラで眠れ(2)を読了し、狼と香辛料(1)に

取り掛かって、はや5日が経とうとしています。

 

「あー、わし物書きに向いてないわー」

 

とか非常に悲観的かつ、思っても考えてはいけないことを

浮かべながら、一日20ページほどのペースで進めています。

 

狼と香辛料、すごいっスね。

 

何がすごいって、語り口調からストーリー構成まで

「物語」で入っているじゃないですか。

 

某作家さん曰く、「デビュー作が売れるわけねえだろ!」

ごもっともだと思います。

 

だって、一話完結モノで勝負しているのに

それを元に続編を創造して、すぐに第二巻を出せって

普通は厳しいんじゃないですかね。

 

これを私は「お話」と呼んでいます。

なんか違うよな、どう違うのか、言語化すると……

まあ稚拙さ極まりなく「物語」と「お話」にわかれました。

 

今回のお題である、「物語」と「お話」につながります。

 

狼と香辛料(1)はどう見ても「物語」ですね。

一話完結とは思えない入り方をしています。

冒険モノの始まりのような感じで「銀賞」っすか。

さ、さいの……うっ!

 

さすがに「マグダラで眠れ」に比べると荒っぽさがありますが

文章巧者ですね。

読書素人でも「ちょっと違うかも」感があります。

 

これを地の文の参考にするには、いささか以上に無理がありますが

盗めるところは盗みたいところですね。

 

120ページぐらいまで読んだところで

「地の文が良いと、セリフの地力が上がるっぽいな」

とか勘ぐり始めました。

 

素人が作家として昇華する、明日へのためのステップアップ。

 

1. 地の文だけで「物語」か「お話」を書こう

 所詮は素人の台本集。ならばいっそ地の文ですべてを書け。

 地の文だけで読めるものとして成立させてみせろ。

 

2. セリフに置換しよう

 地の文で書かれた文をセリフに「置換」する。

 素人にありがち、というか自分がまさにそれなのだが

 地の文とセリフに妙な違和感というかミスマッチ臭が

 消えない。

 

 これを解消するための「置換」である。

 今度はセリフが苦手になってしまったぞ、あやや。

 という場合はできればシーケンス毎に、無理なら作品全体を

 セリフに「置換」する。

 

3. 繰り返そう

 一度や二度で解消できるものではない気がする。

 素人とアマチュアでも「長年書いてきた者」との差は

 ここで最も顕著になると思われる。

 ぶっちゃけ才能がモノを云わす部位なので、

 書いてみて違和感なく読んでもらえたらクリア。

 「面白いのかもしれない……けど、」みたいに

 感想で突っかかるのなら、ひたすら 2. を繰り返すべし。

 

=========================================================

 なお、題材が面白ければそれでいいので過剰になる必要はない。

 だが、

 「題材は面白いけど持て余すね。あの作家さんに書いてもらおう!」

 という理不尽ここに極まる現象を回避するためには必須とも言える。

 

 自分自身で感想戦を行えるのも才能の一つと言えるが、

 効果的な武器かと問われれば、そうでもないと思える。

 

 (私自身、この才はあると相当位の能力を自覚している。

 どこまで『客観的に』自分をけちょんけちょんに批評できるか。

 自虐の才とも言えるのではないだろうか。

 ただし、主観的な自虐は「単なる放棄」であると思われる)

 

 いろいろな人に読んでもらって批評をもらう方が

 圧倒的に有利であるし、事実としてそうするべきと常識的でもある。

 ただし、「最低限として読めるモノ」である必要性から、

 ある程度の能力開発は必要と思われる。

 

 「お前のは読む気がしない」と言われてしまうことは避けたい。

=========================================================

 

4. 一部抜粋をネット投下してみよう

 

 作品のすべてを投下することは避けたい。

 盗作の概念がそこにはないからである。

 ネタにこと尽きず、新作を山のように積み上げるタイプならば、

 気にする必要はないところ。

 うなりながら閃き、インスピレーション、作品化、推敲の繰り返し

 などなど一作に心血をそそぐタイプなら適応すべし。

 (すなわち私である)

 

 とある作家さんいわく、

 「物語を始める」「続ける」「終わらせる」

 の三つの段階を踏むとのこと。

 

 これは映画やドラマにおける脚本術では一般的な

 三幕構成に該当すると思われる。

 

 物語(新人賞の場合はほぼ「お話」)の

 「はじまり」と「おわり」を読んでもらって感想をもらう。

 

 「はじまり」と「おわり」が良くなければ、

 最終選考まで生き残るのは難しいと思われる。

 

 X選考止まりが続く場合はおそらくココがウィークポイントと

 思われる。「はじまり」と「おわり」が弱いと間に挟まる

 ストーリーの説得力に欠ける印象を受ける。

 

 これは受賞作を数本と、売れた(アニメ化まで行った)作品から

 得たインスピレーションなので、

 真に受けない方がいいかもしれませんが自分用なので一応。

 (感覚派の得た感覚に対する理由は後からやってくる:持論)

 

 「はじまり」と「おわり」が強い作品は読み返しをしたくなる、

 というのは私だけでしょうかね。

 

 ここに何らかの解が眠っている気がするのですが。

 「はじまり」と「おわり」を改善すればいいと思うの。

 

5. あらすじを読んでもらう

 

 ストーリーはあらすじに集約される。

 と、どこかで聞いたか読んだ気がするし、事実としてそう思うので。

 

 あらすじで「面白そう」「気になる」と感想をもらえれば

 物語を「つづける」部分はきっと大丈夫なはず。

 

 「つまんなそう」「読む気はしないかな」「ありきたりっぽい」

 とか言われたら、あらすじ自体を見直すか、ストーリーにもっと

 変化を与えて、作品の独創性を上げることが効果的と思われる。

 

6. そして完成、投稿へ

 

 と、その前に。

 この勢いをここで止めてしまうのはもったいない。

 流行とか社会性とかで「今しかないでしょ!」という以外なら

 もう2,3作ほど書き上げてしまいたいところ。

 

 最低で3作品、できれば5作品ほど一気に新人賞へ投下し、

 動向を観察する。

 

 一次選考で落とされた作品はレーベルカラーに合わないと思われる。

 さっさと他のレーベルの新人賞へ送るべし。

 

 二次、三次と、最終の前で落とされた作品は「弱い」。

 改善の余地ありとしてストックしておく。

 使いまわしが利くため、新作を書いていたらひょっこりと

 顔を出す機会はきっとある。

 

 最終まで残ったが落とされて拾い上げの電話もなかった。

 もう一歩なり。

 

 他の作品と何が違ったのか、自分の中で最終選考をする。

 精神的にかなり「くる」時期だが、ここでやっておきたい。

 見えたら即、推敲して「強化」を図る。

 同じレーベルには出せないが、他のレーベルカラーに変化させれば

 あるいはその一本が受賞作となるかもしれない。

 

 

狼と香辛料(1)を中途半端に読みつつですが

こんなところですね。

 

本当は2,3日で精読を完了させたかったのですが

PCトラブルに遭ってしまい、そっちでてんてこ舞い。

 

集中して読む時間がとれず、拾える箇所を見過ごす

致命的ミスを回避すべく、一日20ページほどのペースです。

 

鈍った感覚で読んだら「精読」にならないのですよ。

特に感覚派って部類は。

あと、変な先入観にもつながり、のちのち厄介なのです。

 

 

WindowsXPから7にバージョンアップさせつつ

データのバックアップと移動に四苦八苦しながら、

御式乃でした。

固い文章、固い印象。柔らかい文章、柔らかい印象。 - MIX

固い、柔らかいという感覚的表現はよく目にすると思うのですが

いったいどういうものなのでしょうね。

 

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(1)~(6)」の後に

「マグダラで眠れ(2)」を直感的に選択した理由がわかりました。

 

前者は固い文章の柔らかい印象。

後者は固い文章の固い印象。

 

固い文章は文系を真面目に進んだ人で、顕著に見られますね。

副詞や形容詞を多用したり(意味は前後の文脈から察しろ!)

動名詞をちょくちょく入れたり(これは長年の癖なんだろうなあ)。

そういう文章を見ると、生粋の血が見えますね。

 

 

小学生だか、中学生だかのころの記憶ですが、本をよく読む友人に

「夏休みの読書感想文、写させて! 上手く誤魔化すからさ!」

と、このころに同じような感覚を味わってますね。

 

「書いてることは分かるんだけど、この『変』なのなに?」

「変」はきっと文学的に着飾る類のものだったのでしょう。

 

普段はまったく活字物語に触れない(新聞は読む)者にとって

「異物感」が半端じゃない。

 

これを全て取っ払って

「よくわかんねーから、この本の内容ざっと話してくれよ」

「ふーん、それで要点とか読みどころってどこなわけ?」

「わかった、そこをプッシュして感想っぽく書けばOKね」

こういうことをしていると妙な存在が出来上がります。

 

 

柔らかい文体にこういうものをトッピングすると

いいアクセントがついて良さそうですが、

そこはまだ研究不足なので、なんとも言えないところが歯がゆいです。

(これもそのうち感覚、のち知覚化できるでしょう)

 

 

ちゃらけた文章でとっても柔らかい印象がメインの

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

でポツポツと固さを感じてしまったのは、ここですね。

 

地の文で文学系特有の癖が出ています。

これがいいのか、いけないのかは測りかねますが。

やりすぎてはいけないのは察します。

 

 

なぜこの作品の後で「マグダラで眠れ(2)」をチョイスしたのかは

これに気づかせるためでしょう。直感の理由は後に来る。

 

文章で固い、柔らかいはわかりやすいと思いますが、

印象を絡めた混在に至ってはテクニシャンですね。

 

混在させるとトリッキーな感じが出て、

つっかかる感じがなければ面白いかもしれませんね。

 

 文章を固くする、柔らかくする。

 印象を固くする、柔らかくする。

 

混在が可能です。明確な比較作品のおかげでテクニックとなりました。

ただ、混在させた作品はまだ数を見たことがない気がします。

 

会話をやわらかく、地の文はフラット、シーンに合わせて印象を固く。

という作品は「問題児たちが異世界から来るそうですよ?」シリーズ。

(好む作品はことごとく短期で終わってしまう疫病が発動しないか心配)

 

同じシリーズ内で文章の固さを実感できる例として

ソードアート・オンライン」シリーズより第八巻、「キャリバー」。

これは普段はやや固めだった文体を柔らかめに崩していますね。

物語に合わせて「印象の整合性」(過去記事参照)を

調整したのかもしれません。

 

 

ライトノベル……

まだまだ底を見せない深さを感じさせますね。

読者としてではなく書き手としてくすぐられます。

 

読んでいても「これを工夫して使えないかな」やら

「お、これは他の作品でも見た手法だ。使えるんだな」と。

文学系が強い作者の物語はとにかく後ろ髪がぐいぐい引かれるので

精読がはかどらずに困ります。

 

 

さて、「マグダラで眠れ(2)」も残るは80ページほど。

次に読むものは決まりました。

 

狼と香辛料(1)」です。

続刊の「マグダラで眠れ(3)」も手元にありますが、こちらです。

 

読むタイミングが難しかったのですよ。

小難しいことを並べた地の文ばかりのものだろうし、

読んでも盗めるどころか参考にできるレベルでもなかったですし。

(地の文が苦手とか言っている状態で読んでどうすると)

 

なにより、それが「受賞作」だったので。

半端な「読み」で処理するわけにはいかなかった。

 

 

1. 「マグダラで眠れ(1)」

2. 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(1)~(6)」

3. 「マグダラで眠れ(2)」

 

で地の文を読む(否、書く)レベルが規定値に達したと判断したので

作者を遡る工程に入ろうかと思いまして。

 

作家が成熟されると素人には参考しにくくなるという持論があるのですよ。

ソードアート・オンライン」も古い巻の方が好きと以前言ったのは

同じ理由です。物語が明確化される反面で作者は見えなくなる。

 

 

早い話が「売れている」もしくは「売れた」作家さんの軌跡を

丸裸にして解読、感覚的に落としこんでMIXさせれば

新人賞レベルになる気がするのですよ。

相変わらず根拠のない感覚的なものですが。

 

というわけで、支倉凍砂先生の原初を次に紐解こうと思います。

どこまで「感じ」て盗めるやら不安要素も多いですが……

 

 

まだ未確ですが、「狼と香辛料(1)」を読んだら

次は圧倒的な積み本たる

アクセル・ワールド(2)~(既刊)」に取り組む予定です。

 

10冊を超える積み状態を崩すと思うと、辟易しますが……

 

 

太陽を遮る曇り空は嬉しくも気温計の数値にイライラしながら……

御織乃でした。

カタルシスの正体に迫ってみる(第一回)

カタルシスの代名詞として帯に出された作品は、かの有名な

アクセル・ワールド」ですが、私は今まさに違った角度で

同種のものを感じてしまったので、後のため記しておきます。

 

「かわいそす」+「共感」+「興奮」=「カタルシス」

 

これが今のところの定理ですが

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(6)」を読み終えたとき

「カタルシスを感じている」自分に気がつきました。

 

なんだこれ……

 

同情、と言ってしまうのが一番早いような気がしますが

単純にこれ一つではない気がします。

 

やるせなさ? いきどおり?

冷たいものではなく、熱くグツグツと煮えたぎるような

そんな感じ。

 

作中で言ってしまえば、葉山隼人が一番これに近いかもしれません。

が、読者としてこれを感じてしまった?

今までは容認していたのに?

許せなかった? なぜ今回に限って?

 

疑問符でいっぱいです。

渡航先生、すてきなサンプルもとい作品をありがとうございます。

 

さて、この難問の解読を進めたいところですが、

残念ながら第七巻は品切れだったため手持ちがなく保留と。

 

 

これは「カタルシス」を解明するカギの一つでしょうか。

すべてのカギを手に入れて、「カタルシス」と称されている

パンドラの箱を開けたいものです。

 

カタルシスなんて気軽に呼んでくれちゃってますけど

パカっと開けて全てが飛び出しました、なんて代物じゃない。

数々の「心理」を複合混在、そして融合させたものがそれ。

 

完全に、とは言わないにしろ

より明確に、鮮明に、真意に近づけば

リアリティという武器の性能は格段に向上するはず。

 

 

振り返りたい気持ちが溢れていますが、

今はとにかく読むことを優先すべきと内が訴えているため

次の作品に入りたいと思います。

 

 

今すべきは一日一冊。

とにかく「精読」のペースを上げること。

 

一字一句、そして一瞬の視界に入る文字のイメージ。

それらを脳裏に、文字通り焼き付けることで、

十年以上は月日として差がある先達に追いつく。

 

早く……もっと早く!

早くて三年と打算していた……

けど今は受胎した自分のアイディア、インスピレーション、ストーリーを

すぐにでも形にしたいと望んでいる。

でもそれはできない。今やってしまえば中途半端なモノが出てしまうだけ。

だから我慢する。読む。

市場の作品を凌駕し、受賞に至る核心の作品へと昇華させるために。

 

私語が多くなってしまいました。

私はまだプロでも、ましてやアマチュアでもないのですよ。

夢見る一介の個にすぎない。

 

なので、もう書ける方々はさっさと先へ行っていてください。

私が「勝負できる」と判断したときに蹴落とし合うのは

正直、想像したくありません。

 

何様……ですが、御織乃が海中から地上に上がり、

本気で動き出すときには

それこそ「嵐」ではなく「荒らし」のごとく暴れ回り、

朽ち果てるまで止まらないので一応。

 

凪からそよ風に。

そよ風が突風に。

突風が連なり、嵐(荒らし)となる前に。

 

無茶なことを言いますが、

さっさと受賞か拾い上げでプロになっちゃってください!

(受賞したらTwitterあたりでこっそり教えて下さい、買いますから)

 

 

はぁ、はぁ……

 

つ、次に読むのは「マグダラで眠れ(2)」です。

感覚派の「なんとなく」は大事なので、

振り返ったときに、なにか掴めるよう記しておきます。

 

「カタルシス」の代名詞たる「アクセル・ワールド(2)~(既刊)」

が手元にあるにも関わらずなぜ?

 

理由はわからない。でも読むべき優先順位は常に嘘をつかない。

あとで知識が追いつけばきっとその理由も追いついてくる。

今までもそうだったから。

 

夜分に失礼しました。御織乃でした。

得意分野と作風のマッチングについて考える

渡航先生なら、それでも渡航先生なら許してくれるッ!

 

と思うので出してみます。

 

渡航先生はデビュー作(前作)にて妖怪譚っぽいものを

語られておられたようで。

 

読んでいませんし、買ってもいません。

題名とイラストを見ればなんとなく、と。

漫画ならばパッと見の印象は「うしおととら」。

そこまで外れてはいないはず。

 

さて、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

第四巻を読み終えました。

 

夏休み、キャンプ、水辺と来れば……水着だぁぁッッアアア!!

ってのが「萌え」なんでしょ? わかってきましたよ。

あれ、違う?

 

 

と、そことは離れて、「肝試し」の噺が登場しました。

正直、これ同じ作品か? と自分の感性を疑いました。

そこだけ別の作品が上擦りされているような妙な違和感。

 

「ああ、これ前作……というかこういうのが本質なんだな」

という具合に勝手に合点しました。

 

あやかし譚が基本骨子なんだろうなあ、と。

こういう作風、こういう文体が本性なんだろうなあ、と。

 

もう先まで読んでしまっている方がいたら、

ちょっと「肝試し」だけ読み返してみてください。

 

 

これ、やりすぎでしょう。

 

リアルだし、描画もいいし、語り口もおどろおどろしいし

「うわ、こわっ!」って……ちょっと行きすぎてません?(褒

 

ラブコメが突然サスペンスホラーになったような。

極端に言ってしまうとそんな感じ。

 

整合性ってコトバを新人賞ではよく耳にしますが

「作風と印象の整合性」が離れすぎているかな、と。

 

 

ただし、プロ連載作家なら許される。

あるいは、ガガガ文庫なら許される。

(作中で渡航先生がラノベ界のカテゴリーエラーと皮肉ってますし)

 

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

にあやかし譚風の肝試しを描いた。

 

そんな印象が残りました。

 

書きたいものを書きたいように書く場合は

このような現象に気をつけようと思いました、ま~る。

 

 

作風、文体、シーン、印象における「整合性」ですね。

あるいはあえて不協和音として味を出してみるのも手かもしれませんが。

 

御織乃の個人的な感想と見解でした。

作風と読者のリズム - 助詞を省くか載せるか

前回の雑記と合わせてお読みくださると

「なるほど」感が増すかもしれません。

 

どうも突っかえるというかリズムが狂うというか

変なところで「ガクッ」っとなる感じ。

 

自転車で言えば、ギアを変えた瞬間のアレ。

自動車で言えば、同じくギアを変えたときのアレ。

(御織乃は自動車に乗らないゴールド免許なのでよくわかりませんが)

 

追記:2013/07/27

 もう一つ、いい比喩があったので追記。

 「ゲームのネットワーク通信でガクッとなったときのアレ。」

 この表現がこの中では最も理解しやすい「感じ」だと思ったので。 

 

 

変なところで助詞が抜けていることに気づきました。

 

抜くところでは抜く、ならいいのですが

抜いていなかった場所で突然抜かれると「日本語変じゃね?」と

前後の文章を読み返す逆流現象を発生させるため

読者は不快感を覚えるような気がします。

 

私はイラッときましたが、気にならない方は気にならないのでしょう。

この辺を統一してくれると、すらすら読めて気持ちがいいのですが。

 

逆はアリだと思います。

抜いていた場所に助詞を加える。

読む分には目線の負担にはなりません。

 

が、今度は作品として違和感を感じてしまうんですよね。

 

この辺は自分の中にどれだけ設定が染み込んでいるか、

もうこのレベルだと思います。

 

紙だろうが、データだろうが間接的な情報なわけで

その辺のボロは少なからず出ます。

 

今まで読んできた約10作品ほどは一瞬の違和感はあったものの

すぐに物語に戻れたので気にならなかったのですが

さすがにここまで顕著だと「うわ、こういうことか」と思えてしまいます。

 

面白いけど楽しめない。

楽しめていないのは自分の知っているリズムに合わず、

しかも作品自体のリズムが不安定で乗れないことにあると思います。

 

アップダウンは別に構わない、というか作品のテンポを演出する上で

必要だと思いますが、ガックンガックンされるのは困る。

こんなところでしょうか。

 

相変わらずガックンガックンしまくって

ちょっと助詞いれるかいれないかハッキリしてくれよ!

って感じで「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(3)」

を読書中です。

 

作者さまの日誌を見る限り、この頃はかな~り忙しかったようなので

巻数を重ねていった先にどう変化するか、しないのかちょっと楽しみです。

 

既刊は7巻のようですが、手元にあるのは6巻まで。

 

風潮に流されているだけのような気がするので、

私はこの辺でもういいかなとか考えはじめています。

 

七五調ってのは「なるほど」と参考になりましたが

このリズムに付き合っていたら私の方のリズムが歪みます。

 

とんでもねえ作品だ(褒め言葉

 

この辺は

僕は友達が少ない」で助詞をどう処理しているか

もう一度観察してみるかなあ。

 

あれ、文章量はかなり少ないし、すらすら読めるし

シーンはすぐ頭に思い浮かぶしで初心者向け教科書みたいだし。

 

「萌え」は相変わらず分からんよ。

マネれば勝手に読者が想像するもんだと思っちゃってる。

ポイントをおさえてその上に服装をマッチさせりゃいいんだろ(投げやり

 

「カタルシス」はなんなんでしょうねえ。

まあその辺は先駆者の「アクセル・ワールド」(2~既刊)と

ソードアート・オンライン」(既刊読了)を読んで学び返すとします。

 

カタルシスをそのまんまカタルシスで書く必要はないと思うんだがなあ。

「かわいそす」+「共感」+「興奮」=「カタルシス」

が今のところの見解で、足し算3つの題材は自由だと思うので。

 

タイトルの「助詞に関して」とはずいぶんかけ離れてしまいましたが

この辺りで。

 

全部「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」が悪い!(濡れ衣

 

最近は読みっぱで全然書いてないから

こーんな予定から離れたところに着地してしまう。

 

渡航先生ごめんなさい。そんな目で見ないでください。ホントごめんなしゃい。

言葉選び - 忘れがちな基本

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(2)

の読書も終盤に差し掛かったときのこと。

 

なんだ? この違和感……

 

唐突に表れたそれ。

御織乃は超感覚タイプなので、この辺は敏感です。

が、知識が阿呆すぎてどうしようもないので言語化できず。

 

文章にしてみればと思い、ここに書きつつという具合です。

 

ちゃらけた作風でちゃらけた感じに展開していて

ちょっとオシャレな場所でもそんな感じは失われず

キャラクター個性が逆に引き立つようにされており感心。

 

が、〆にかかった終盤。

なんか作風が固いというか、いきなり文章が変わった。

なんだこれ。と思いジーっと観察してみると……

 

あっ、

 

・リズムがちげえ

・語彙がワンランク上のものに変化している

 

こんな感じと。

作品に合った言葉選びは大事です。

そんなこと言われんでも、と私も思いますが、

プロでもこのような事例もあるようで。

 

そんなもんに気づくやつはいねえし、そこまで細かくやってらんねえよ。

と思っていいのは連載作家さんです。

 

新人賞へ向けた作品はどうあるべきか。

初心と言えるほどまだ経過していませんが、

初心を思い返させてくれる一幕でした。

 

 

ガガガ文庫はまだ私は調査不足ですね。

 

もう少し、市場に出してプッシュされた作品を読んでみないと

どういう作風をレーベルが求めているのかわかりません。

 

「なんでも受け入れるガガガ」なんてどこか風潮のようなものが

漂っていますが、「なんでも」の中にも「好み」はあると思うので。

 

「ささみさん@がんばらない」辺りも触れてみようかな。

 

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」は文体が特殊すぎて

今までの物差しでは測れない。

 

擬音語が多すぎる。こんな作品いままでになかったし……

正直に言うとね、この作品あんまり楽しめていない。

 

面白くないわけじゃない、楽しめていない。

作品に入り込めない。

 

遊びはあるけど作者のための遊びであって

読者のための遊びではない気がする。

 

似たような作風で先にヒットし、おそらく多大な影響を受けていると思われる

僕は友達が少ない」は読者のための遊びが豊富だった気がします。

 

あとで振り返ってみよう……

 

「固い──普通──柔らかい」

私の好みは固め寄りの普通な気がしてきました。

 

でなければ「マグダラで眠れ」を文句タレながらも最後は

「面白かった、楽しめた」とか思えるわけがない。

 

まだまだ先になるだろうけど、全ての積み本のインプットが完了したら

最初に戻ってみようと思います。

 

今は読み返す段階ではない。

もっと色んな作風に触れて、原点に返る。

そうしろ、となにかが囁いている気がします。

 

 

駄文が長くなりましたが、自分用なのでこれで。

御織乃でした。

リフレッシュ術 - 双極性障害から見た有効法

おいおい障害者ですか、と思われますか?

答えましょう。そうです。

 

と、言ってもこれは精神疾患の一種でハリウッドなどでも活躍する

超有名女優、男優さんなども多くいるありがたくも使い所が難しい

ものです。

 

普通の人から見るとこんな感じ。

「お前、昨日はやたらハイテンションだったのに今日は超ウツってるな」

要するに極端な気分屋。

 

気まぐれのスイッチ一つで常識外の成果を出したと思ったら

酒に溺れて転落、なんてのもこれですね。

 

まあちょっと気になる人は精神科のクリニック(否病院)にでも行ってください。

かる~く診断してくれます。

 

なお、この疾患には一型と二型があり、私は症状の軽い二型になります。

一型は本当にひどくて、何百万もの買い物をして借金まみれとかあるそうです。

二型は理性コントロールがまだ及ぶ範疇なのでそこまでいきません。

 

 

本題のリフレッシュ術です。

 

最近は調子がいいぞ、筆が進む。悩む。問題点が浮き彫りになる。学ぶ。

乗りにノッてるじゃないか!

 

と思ったら今日になってガタンっときました。

まあ兆候はあったのですがね。

 

(だから躁の傾向が見えるって自己申告したのに、あのヤブ医者が……)

 

平均睡眠時間が通常7時間から5時間に。

ついに昨日(?)は3時間と、ワーカーホリックの人なみに。

 

人体が一日に必要とする最低睡眠時間は3時間らしいですが、

その辺は詳しくないので資料を当たってください。

 

スランプの脱出法として

・映画を見る

・アニメを見る

・漫画を読む

・音楽を聴く

などなど聞きますが、どうにも双極性障害だとこれでは効果が薄い模様。

 

全部実際に試したのですがね。

テンションは上がりっぱなしで躁のヤツが暴れて鬱でバランスとるのも限界と。

スランプ脱出法を試しているうちにも「うおぉぉぉおお!」止まりません。

 

そしてばたっと。

 

あー、どうしよう。時間がもったいねえ。

時間は待ってくれても体細胞寿命は待ってくれねえ。

でもこんな状態でやっても無駄っていうか悪影響だし……

 

とか悩んでいて、ふとビデオゲームがしたくなったので

PS2(古いですか、そうですか)をひっぱりだし、

テイルズオブリバースバンダイナムコゲームス)を起動。

 

うぇ~い、破茶目茶にMOB狩りやっほぅ。

とかやっていたら、「あ、あれ?」なんかスッキリしてきてないか?

となったのでリフレッシュ術として記しておきます。

 

『とにもかくにも芸術性から離れろ』

 

これです。

スランプ脱出法って、基本的に他の分野の芸術に触れることで

自身の芸術性に化学反応を誘発させ、閃きをもたらすもののようです。

 

対して、リフレッシュはダメ。

・映画を見る

・アニメを見る

・漫画を読む

・音楽を聴く

全てになにかしらの芸術が含まれている。

これじゃリフレッシュになりません。

 

脳を駆け巡るシナプス回路を休ませてあげなければならない。

芸術に使った回路を芸術で休ませられるわけがない。

 

極端な例で、「無心にゲームで大暴れした」ように書きましたが

これは「ウォーキング」「ジョギング」に置き換えることができるはずです。

 

プロの方々がそういった運動を欠かさないのは

リフレッシュ行動の一つなのかもしれません。

 

私は体を動かすこと、というか太陽の光が苦手なので

そういったことはしませんが。

 

まあ、こんな尖りに尖って、ハリウッドなんつー世界的な芸術家たちの

実績ある精神疾患に対しても有効なんだから、

普通の人なら一発で、しかも短時間でリフレッシュできるはず。

 

という推論です。

 

私はまだ本調子って感じではないですね。

無理せずリフレッシュしながら進め、という矛盾と闘いつつですね。

 

 

なんもやる気がでない。スランプか……?

ってときには

・他の芸術に触れる

・芸術を一度放棄して脳を開放してあげる

この二パターンがあるのかもしれません。

 

映画見ても、漫画読んでも、アニメ見ても、音楽聴いてもダメ。

そんな場合はウォーキングかジョギングでリフレッシュ。

 

頭をからっぽにして、ぼーっとしてても何も浮かばん。ダメだ。

そんな場合は逆に他の芸術に触れることでシナプスを活性化させる。

 

他にもあるかもしれませんね。

見つけたら加えます。

 

 

なーにカミングアウトしちゃってるの?

とか思ってしまう人は「君は人の目を気にしながら創作をするのかね?」

と答えのような問いのようなものを贈ります。

一人称と三人称の違い - 先達より学ぶ

とあるインターネット掲示板のとあるスレッド。

「僕」と「彼」という極めて曖昧で淡白な話題でした。

 

これなら私でも入る余地がある

そう思い、例文を含めたアレンジ文章を投下してみました。

 

----

 

疾走した身体の勢いが伝わるように腕は月明かりを振り払い、拳が駆けた。

キィィン!!

打撃とは思えない硬質な音を立てて頬に拳がめり込んだ。

渾身の一撃が生涯で一度となかった衝撃を彼に刻んだ。

「まだだ……立てよ最強」

最強と呼ばれた彼は何が起こったか理解できなかった。

──なんだ? 空? 何を俺は見ている。いや何が起こった。

アクセラレータはその事実に驚愕したまま天を仰ぎ倒れていた。

「立てっつってんだよ最強!」

その声に正気を取り戻し、血を拭いながら立ち上がった。

「三下が……てめえなにもんだ! ただの無能力者じゃねえのか!」

 

----

 

ご指摘をいただきました。

 

>どうも文体が三人称っぽいよね

>あとからその行動が誰か分かるって手法は展開を選ぶよ

 

などなど。勉強させていただきました。

具体的な助言は、

 

>これなんかも一人称だと

><最強と呼ばれた彼は何が起こったか理解できなかったようだ。>

>とかにしないと・・・

これがまさに、といった感じでした。

今読んでいるマグダラで眠れ(1) 著:支倉凍砂先生がそうだったのです。

 

たしかに「らしい」という想像形式にすることで

一人称主人公の心象という地の文に変化することに気づきました。

 

ライトノベルは型がないようなものなので、

本当にこういうところに自由性や個性といった魅力を感じてしまいます。

私もプロ作家さんの文章のように巧みな手法を開発したいものです。

 

寝かせて改稿してみました。

 

----

 

この俺を前にして無謀にもこいつは突っ込んできやがった。

「うおぉぉぉおおお!!」

気迫を込めたのであろう怒声も俺にはただの雑音程度にしか感じねえ。

だがなんだ?

今までこんな連中はそれこそ両手じゃ足りねえほど屠ってきた。

こいつはなにかが違う。その違和感が拭えなかった。

「でぉぉお!!」

疾走した身体の勢いが伝わるように腕は月明かりを振り払い、拳が駆けた。

キィィン!!

打撃とは思えない硬質な音を立てて頬に拳がめり込んだ。

渾身の一撃が生涯で一度となかった衝撃を発生させる。

「な……に、」

頬の衝撃がどうして、なぜ自分を襲っているのか分からない。

衝撃のベクトルはすべて相手に向けて反射を効かせていたはずだ。

俺に触れた瞬間、ヤツの拳はボロ雑巾になっていたはずだ。

だが、〝殴られた〟。その事実とともに身体は空を舞っていた。

「ぐはあっ!?」

物理的苦痛に対する声が出ていた。俺の声とは思えない。

俺は接地の耐衝撃ベクトルも発生させられないほどに混乱した。

〝ありえねえ〟常識の外にあるそれが刹那に俺の意識を奪った……

「立て……立てよ最強」

最強と呼ばれた彼は何が起こったのか理解できなかった。

──なんだぁ? 空? 何を俺は見ている。いや何が起こった。

アクセラレータはその事実に驚愕したまま天を仰ぎ倒れていた。

「立てっつってんだよ最強!」

その声に正気を取り戻し、血を拭いながら俺は立ち上がった。

「三下が……てめえなにもんだ! ただの無能力者じゃねえのか!」

 

----

 

うーん、ちぐはぐというか。違和感が重なり合っているというか。

全然まだ見えていないと実感する。

 

これは読める文になっていない。