mishikino's diary

素人が作家として自分を昇華させる研究所

自分はだれ?(高校文化祭編)

学園ものはどこかしらで出てくる出現度の高い題材なので

見学を装った取材に行ってきました。

 

特定されたくないのですが母校。

当時の私は、学校活動に壮絶なまでの非参加な生徒でした。

そのぶん、他にやりたいこと……ではないですね。

目指したいこと、成したいこと、到達したい場所。

そんなものがあったのでそちらに必死でした。

 

なので、高校生活というものに相当疎いと自覚しているので

それを補うことを第一目的として行ってきました。

 

斜に構えた高校生を主人公にして学校生活を皮肉る──

それは「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」で

ウケているので押さえておこうと。

 

 

私はリア充ではありましたが、学充(造語)ではなかったので。

学校は行って帰るだけ。一夜漬けタイプだったので大学は指定校推薦に逃走。

そうですね、例えば──

 

・高校生活に未練たらたらのまま社会人になってしまった主人公

・ブラックアウト(なんかで)すると気づけば高校生に戻っていた

・鏡を見て「誰?」

・自分がどうなったのか、そして鏡に写った今の『自分』は何者なのか

*謎解きが最前面の「異世界」「バトル」「青春」などなど

 

基本骨子としてこんなものができますね。

「とある魔術の禁止目録」「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」

「アクセル・ワールド」などなど、学園系にいろいろ発展させられそうです。

そこまでの技能がまだないので書けないですけど。

 

 

そしてやはり話がずれたので戻し、

結論、自分は変わっていないようだった。高校生に混じっても浮かない。

大人ではない。これも自覚している。というか大人とかなりたくないし。

 

精神構造的には高校生のころをベースに、そのまま経験値を上乗せした

そのような状態というか。

 

「君なんて社会人じゃないよ」

とか上の人間に言われたことあったっけな。

そのとおり。私は自分が社会人とは思っていない。

そもそも社会人の定義が不明なので、それを自分で名乗ることはない。

大人も同様。大人って結局なんなのよ、ということで私は大人ではない。

だが子供でもない。子供のような存在ではあるが、それそのものではない。

 

自分で言ってしまうのも、ですが

 

「純白」

 

これに尽きるかと。

性別はご想像にお任せしますが、よくこんな存在ができたものだと。

18禁どころか16禁にすら触れず、穢れず、膿まず……もうすぐ魔法使い。

 

 

どんな物語ができあがるかな、と自身で楽しみにしつつも

文章がずれている現状にため息。

 

8月下旬ぐらいから自作PCがずっとトラブルで復旧作業に従事していました。

読書どころじゃない。今現在も進行形ですが、ようやく目処が立ったので、

少しこうして書いているわけですが。

 

さて、高校文化祭。ネタ満載。

とりあえず後追いをしてみるのが先達に学ぶというもの。

 

けいおん!

おんぼろの第二体育館にて見学。

そんなに客はいなかった。物語にするならロマンは必要ですよね。

結構な規模のミキサーを操作する生徒の方が気になった。

 

私の耳がいいにしても音量デカすぎだろう……

ボーカルの声がほとんど聴こえなかったぞ。

 

 

・俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる

茶道はまったく知らなかったので茶道部でお茶を一杯体験。

正座で足がしびれ立ち上がれなくなる現象を実体験。

これはおいしい。

 

ちなみに在学中に茶道部はなかった。

 

 

・やはり俺の青春ラブコメは間違っている

フェスティバッている感を実体験。これはすごい。

狭い廊下がぐちゃぐちゃ。

装飾いろいろ。資料として写真ぱしゃぱしゃ。

 

近隣住民、中学校時代であろう知り合いも呼んでか、

校舎に収納できる人数じゃねえだろこれ。

 

ちなみに当時の私はというと、人気の少ないところに避難していた。

くたばれ文化祭。

 

 

・アクセル・ワールド

主に校舎の構造について資料集め。

新校舎はかなり特殊というか、現実感が薄いというか、

「こういうのが物語に出てきてもおかしくないよね」ってぐらい

近代的な構造物なので、基本をほぼそのまま使ってヨシと判断。

 

変わっていなかった現第二体育館(旧第一体育館)の

オンボロとのコントラストがひどい。

旧世界と新世界が隣り合っている物語が一本書けそうなぐらいひどい。

 

 

僕は友達が少ない

自主制作映画というものを見学。時間制限上、一本しか見られなかった。

……とりあえず「シド・フィールドの脚本術」を読め、と先輩づらなら一言。

ネタとしてオイシイものがごくわずかにあったのでそれだけチェック。

あえて言おう。くっそつまんなかった。

文化祭だものね。遊びだものね。プロ意識とかないもんね。

 

創造の文化祭の中でさらに出し物を創造する未来が見えました。

 

 

*全体的に

ぬるい。そう感じました。

高校生当時の私が相当に尖っていたので、

それと比較してしまっているのかもしれませんが。

「薄い」とは違うんですよ。感覚的にしか言えないのですが「ぬるい」。

うん、これは「ぬるい」。はっきり言えます。感じました。

 

他には「硬い」ところとかあったかな……

これは「緊張感」に言い換えられると思うんですけど。

危険度が高いアトラクション系はスタッフ(生徒)の表情が

引き締まっていましたね。これを「硬い」と感じたのでしょう。

 

「硬い」とは似て非なるもので「必死」。これは部活動発表系。

緊張感よりアピール精神が勝ったか、

活動で緊張を覆って、感じにくくしているようなもの。

どちらかと言えば、これを見る観客の方が物語に活かせそうな気がしました。

期待もあれば緊張もあり、何も知らない感じもあり。模様さまざま。

部員の一体感に対して、観客の千差万別。べつの形で活かせそうな感じ。

 

ちなみに部活顧問のことばに「こりゃダメだ」を感じる。

「一生懸命────させている」

 

させているって言ってる時点でダメだろ。

本当に上に行く者は「する」んですよ。

高校生当時の私ですらそう言えるんだから間違いない。

頂上到達の達成感はひとしおだった……が、終わった虚無感がさびしかった。

 

今また新しい山を登る。

 

 

来年もまた行こう。

感覚のチューニング的なものになると実感したので。

 

精神年齢が重要であって実年齢は関係ないのですが、

社会や文明的な変化で異なるものがズレを生むことがわかったので。

 

あの「ぬるい」感じを逆に武器として使えないだろうか。

早く作家業に戻りたいと強く思いつつ、自作PCの復旧作業をつづける

 

御式乃でした。 ……ぜんぜん纏まりがないこの文章がひどい。